
五条坂と聞けば、多くの人は「清水寺への坂道」や「陶器まつり」を思い浮かべるかもしれない。でも私にとっては、少し違う。観光客の往来の裏で、ひっそりと取り残された町家の空き家たちが、誰にも使われぬまま静かに時を止めている。それが、ずっと気になっていた。
そんな中、築80年超の町家をアーティストのための住居兼スタジオとして貸し出すというプロジェクトが立ち上がった。その名も「BASEMENT KYOTO」。
これは単なる空き家の再利用ではなく、“表現の余白”を京都の町家に見出した試みだと、私は思っている。
不動産を「使われる」だけのものにしない
私は京都生まれ、京都育ち。店舗デザインの仕事をしながら宅建士の資格も持ち、町家の現場に足を運ぶことが多い。五条坂のあたりも何度も歩いたことがあるが、このプロジェクトは違った。
何が新しかったか。それは「誰かが借りて住む」ではなく、「誰かが創造の拠点としてここを“育てていく”」という姿勢。
リノベーションも最小限。白く塗られた壁、むき出しの梁、古い木枠の窓。
残された時間の痕跡を尊重しながら、「そのまま」を活かす空気感がある。そういうラフさを許容することが、アーティストの創作環境としても魅力的なんだと思う。
空き家 マッチングが“相性”を生む瞬間
この物件、最初からアーティスト専用に設計されたわけじゃない。もともとは住居だった空き家。だれかが住んでいた、そしてしばらく誰にも使われなかった。
でも、物件の個性とアーティストの表現がピタッとはまるとき、不思議と“その場が息を吹き返す”瞬間がある。それこそが、空き家活用における「マッチング」の本質だと思う。
不動産を“貸す・借りる”の関係ではなく、“預ける・育てる”という関係で見たとき、こうした活用はまさにその理想形だ。
三人の子の父として思う、“見せる町”と“育てる町”
うちには中学生と小学生の子がいて、末っ子はダンスに夢中だ。
表現するって、特別なことじゃなくて、人が自分らしくいられる手段なんだと思う。
だから、このプロジェクトで「アーティストが町家で暮らしながら作品をつくる」という在り方は、子どもたちにもぜひ見せたい景色だった。
観光で消費されるだけの町じゃなくて、「表現が育つ町」。それが京都で実現できるなら、私は誇らしいと思うし、子どもたちにも「住み続けたい町」になるんじゃないかと。
妻の“生活感覚”が教えてくれたこと
この物件を紹介したとき、元看護師の妻がぽつりと「こういう家に一人で住めるって、心が健康な証拠やな」と言った。
その言葉にハッとした。町家って不便だし、寒いし、ひとりじゃ心細い。でも、創作に没頭できるほど自分と向き合える環境って、実はすごく贅沢な暮らし方なんじゃないか。
空き家をただ埋めるんじゃなくて、そこに暮らす人の“内面の豊かさ”に着目する。それが、このプロジェクトの革新性でもある。
東山区・五条坂──不動産は“文化を繋ぐ”媒体になる
五条坂という土地柄、観光と暮らしが入り混じるエリアだ。そんな中で、空き家を文化と表現の拠点にするという方向性は、京都における空き家活用の未来を示していると思う。
不動産は経済資産である前に、人と人、人と町をつなぐ“媒体”だ。
今回のような空き家マッチングが、アーティストと町家を結び、町の文脈に新しいページを加えていく──これはまさに、活用の極み。
京都にはまだ、そんな出番を待っている家がたくさんある。
そして、それに気づいてもらえる誰かとの出会いを、静かに待っている。