宅建士のまなざしから

【前編】「2040年空き家マップ」を読んで思うこと──京都というまちと、僕たちのこれから

先日、NHKの特集「2040年 空き家数全国予測マップ」を読みました。

日本の空き家問題を考える 2040年 空き家数全国予測マップ - ディレクターノート - NHK みんなでプラス : https://www.nhk.or.jp/minplus/0145/topic001.html

正直に言うと、「知ってるようで、知らなかった」。それが率直な感想です。空き家の話なんて、仕事柄よく耳にしているし、自分でも何度も現場に立ってきました。でも、地図に色がついて、数字として「あなたの街でも空き家が1万戸以上になります」と突きつけられると、正直、どきっとする。京都市の伏見区、右京区、左京区、そして宇治市──全部、僕の生活圏のすぐそばです。

この記事を読んで一番感じたのは、「空き家問題って、未来の話じゃなくて、もう“今ここ”の話なんだ」ということでした。

「どこかの地方の話」じゃない、今いる街の現実

記事によると、これまで空き家といえば過疎化の進む地方の問題という印象が強かった。でも、実際に空き家の絶対数が爆発的に増えるのは、都心や人気のベッドタウン──つまり、人が多く集まった場所です。大田区、練馬区、芦屋市、そして京都の各区。なぜか? それは、団塊の世代が一斉に家を持ち、一斉に高齢化を迎え、相続が一気に押し寄せてくるから。

この流れはもう止まらない。すでに始まっているし、2040年には今の2倍の空き家が出ると予測されています。

「家が余っていく」──その現実が、なんだか静かに僕らの日常に迫ってきているような感覚があります。

空き家は、「ただの建物」じゃない

僕は京都で暮らし、店舗デザインと不動産の仕事をしています。宅建士でもあり、近所のおじいちゃんおばあちゃんと立ち話をしながら、現場に通う毎日。

だから、空き家ってただの数字じゃないんですよね。あの家は誰々さんが住んでた、あの店は子どものころ駄菓子を買った場所──そういう“記憶の残像”がついてくる。誰かが住んでいた、誰かの人生があった、そういう家が「なんとなく空いている」状態で放置されている。

NHKの特集では、それを「売るでも貸すでもない、なんとなく置いてある空き家」が一番の問題だと言っていました。僕もそう思います。でも、「なんとなく」ってすごく人間的な感情の結果でもあるんですよね。

  • 名義を変える手続きが面倒そう
  • 誰かが住んでくれたら…と思いながら行動できていない
  • 壊すのは寂しいし、残すにはお金がかかる

そういう、いろんな気持ちが混ざって、結果「なんとなく空き家」になる。

それでも、僕は「京都」に希望を見ています

京都の空き家は、全国的に見れば厄介な部類です。町家は古くて手がかかるし、景観条例で建て替えが難しい。相続や所有関係も複雑なことが多い。

でも、だからこそ「再編集する価値がある」とも思うんです。

観光地という顔だけじゃない、文化と暮らしが入り混じったまち。今このまちに暮らしている僕たちが、その価値を見つめなおし、次の人にどう渡していくか──これはもう「行政の問題」とかじゃなく、「生活者の選択」なんだと思います。

この記事を読んで、「これはまずい、なんとかしなきゃ」という焦りと、「でも、何かできるかもしれない」という手応えの両方を感じました。

この先の話──「空き家と向き合うということ」

この前編では、NHKの記事から受け取った現実と、それに対する僕なりの実感を中心に書きました。

中編では、より具体的に「空き家 活用」の事例や現場の声、宅建士としてどんなサポートができるのかを考えます。後編では、「空き家 マッチング」というこれからの仕組みが、京都の暮らしにどう役立つか、未来への提案も含めて深掘りしていく予定です。

空き家は、ただの建物じゃない。
そこには人の時間が染み込んでいる。
だからこそ、雑には扱えないし、可能性にもなれる。

次回、中編へと続きます。

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