
2024年10月、上京区・西陣エリアに築130年の京町家を活用した宿泊施設がオープンした。地元で暮らす者として、店舗デザインを生業にする者として、そして宅建士の視点から見ても、これは単なる「リノベーション物件のひとつ」ではなく、まちの未来を変える動きのはじまりだと思っている。
私は京都生まれ京都育ちの45歳。三人の子どもと妻と暮らしながら、店舗デザイン、空き家や小規模店舗を再生する仕事をしている。空き家という言葉が社会に広がるずっと前から、現場で「この場所を、もう一度灯せるかどうか」と向き合ってきた。だからこそ今回の事例には、深く頷けるところがある。
西陣という土地に宿る時間と“空き”
西陣という地名には、どこか誇りと郷愁がある。西陣織という言葉が象徴するように、ここは長い歴史と職人文化の集積地。だが近年では、空き家がじわじわと増えている。技術継承が難しくなり、家業を継がない子世代が町を離れ、高齢者がひっそり暮らす家が“誰にも受け継がれない場所”になってしまう。
西陣の空き家は、ただの空間じゃない。染物のにおいや、織機の響き、和室の擦れた畳に残る時間の蓄積。それがそっくり残されたまま、そこに「空き」が生まれている。
今回のプロジェクトでは、空間編集舎がその空き家に宿泊施設としての新しい命を与える。しかも、ただ泊まるだけの場所ではなく、町と旅人が出会う場をつくろうとしている。
宿泊施設としての転用──ただの不動産活用ではない
私が一番驚いたのは、この取り組みが「不動産としての価値を取り戻す」ことを超えて、まちとの関係性をデザインし直そうとしている点だ。
京町家は、正直手間もコストもかかる。耐震補強、断熱、設備更新…いくらでも課題はある。それでもあえて「残す」「活かす」を選んだ理由には、西陣という土地への敬意がある。
宿泊施設という形は、単なるマネタイズの手段ではなく、町家が持つ時間と空気を「体験」に変えるための方法だ。住むように泊まる、歩いて出会う、地元の人とすれ違う──そういう“関係の再編集”が起こることが、このプロジェクトの本質だと感じている。
三人の子の父として、西陣が次世代につながる形
子どもがいると、町の空気に敏感になる。通学路、遊び場、帰り道の灯り。空き家が増えていく町には、どこか“間が抜ける”ような心細さがある。
でも今回のように、空き家が人の出入りを呼び戻す場所に変われば、子どもたちにとっても「変わりゆく町に希望がある」ことを感じられる。観光客が歩く町ではなく、「誰かが泊まる、誰かに受け継がれる」町としての新しい顔が見えてくる。
子どもが「この町で育ってよかった」と思える場所は、空き家の数ではなく、“灯り”の数で決まると思っている。
妻が元看護師だから気づけた“余白の温度”
うちの奥さんは元看護師。空き家の現場に同行したとき、何気なく言った。
「こういう町家って、寒いけど、風の通りがいいよね。寝たきりになったおばあちゃんが、この家で暮らせてたってすごいなと思う」
この言葉が印象に残っている。空き家は「人が出ていった場所」ではなく、「最後まで暮らしを支えた場所」でもある。その記憶をどう引き継ぐか──福祉の視点でも再生の価値は高い。宿泊施設は、その“記憶の断片”をそっと次の人へ渡す手段にもなると思っている。
空き家、活用、マッチング──不動産の“真ん中”に立つ仕事
私たちの仕事は、不動産を右から左に動かすことじゃない。空き家の「まだ決まっていない」状態に立ち会い、そこに人の意思をどうつなぐかを考えることだ。
上京区・西陣という歴史ある場所で、こうした宿泊施設への転用がマッチングによって実現したことは、空き家活用の新しいスタンダードになっていくはずだ。
誰に渡すか、どう使うか、どんな物語を次に紡ぐか──そのすべてに“関係性”がある。
だから私は、空き家を活かすという行為そのものが、まちへのまなざしの再編集だと思っている。