
空き家バンク、という仕組みについて考えてみた
空き家バンクという言葉を、どこかで聞いたことがある人も多いかもしれない。
でも、その仕組みや使われ方について、しっかり知っている人は意外と少ない。
実際、私も最初は名前だけを知っている程度だった。
それがある日、仕事の相談で「空き家バンクに登録されている家を見てきたんです」と聞いたのがきっかけで、
ふと立ち止まって考えるようになった。
空き家バンクというのは、簡単に言えば、使われていない家を「貸したい」「売りたい」という人と、
その家に「住んでみたい」「使ってみたい」という人をつなぐための仕組み。
民間の不動産屋さんではなかなか扱わないような築古の物件も、行政が窓口になって、情報を届けてくれている。
この“情報をつなぐ”ということが、実はすごく大事なんじゃないかと最近感じている。
京都という場所と、空き家という存在
京都と空き家。
一見、あまり結びつかないように思えるかもしれないけれど、実際には京都のまち中にも空き家はぽつぽつとある。
商店街の裏通りや、小さな川沿い、坂の途中の町家。
雨戸がずっと閉まっていたり、草が玄関先に伸び放題だったり。
そういう景色に出会うたび、「ここに人が戻ったら、また息づくのにな」と思うことがある。
私が仕事で関わってきた中でも、
「親の家を相続したけど、どうしたらいいのかわからない」
「空き家を活用したいけど、どこに相談していいのか見当もつかない」
という声をたくさん聞いてきた。
そうしたとき、空き家バンクの存在が、次の選択肢を照らしてくれることがある。
「誰かに住んでもらえるかもしれない」
「思い出の場所が、もう一度誰かの暮らしになるかもしれない」
そんなふうに思えるだけで、心の持ちようが変わってくる。
空き家バンクの、よいところ
空き家バンクには、いくつかのよい面があると思っている。
たとえば、
- 古くても味わいのある家が見つかる
- 地元の職員さんや、地域に詳しい方が案内してくれることがある
- 相場よりも手の届きやすい価格で出ている場合もある
特に最近は、「完全移住」ではなく、「週末だけの二拠点生活」や「リモートワークで暮らし方を見直したい」という人が増えてきた。
そういった人たちにとって、空き家バンクは“暮らしの実験室”のような役割を果たしてくれる。
京都でも、京北や亀岡、美山などでは、そういう取り組みがゆるやかに、でも確実に広がっている。
その空気感が、とてもいいなと思う。
ただ、課題もある
もちろん、うまくいっていない部分もある。
物件の情報が古かったり、写真が少なかったり、問い合わせてもなかなか返事が来なかったり。
「あれ? これは本当に紹介したい物件なのかな?」と感じてしまうケースも、残念ながらある。
それから、建物の状態が思っていたよりも悪くて、修繕費がかさんでしまうということも少なくない。
やっぱり、物件そのものの情報だけでなく、
「その土地でどんなふうに暮らせるか」
「地域の人との関係はどうか」
といったことを、丁寧に伝えてくれる人がいるだけで、安心感はまったく違ってくる。
だからこそ、空き家バンクには“人の関わり”が欠かせないと思っている。
私が思う「空き家」の価値
空き家って、ただの「問題」ではなくて、
見方を変えると、“余白”なんじゃないかと思う。
それは、暮らしの中の、あるいは街の中の、ちょっと手つかずのスペース。
でも、そこに誰かのアイデアや手間が加わることで、新しい風が吹き込む。
放置された場所が、もう一度誰かの“日常”になる瞬間を、私は何度も見てきた。
それは、デザインや建築といった仕事をしているからこそ、余計にそう感じるのかもしれないけれど、
空き家に関わるということは、「暮らし方をもう一度考え直すこと」そのもののような気がしている。
京都という土地は、そういう“余白”に気づける目を育ててくれる町だと思う。
空き家バンクを“使う”というより、“関わってみる”ということ
空き家バンクを使うというより、
まずは「関わってみる」という気持ちが大事なのかもしれない。
家を探している人も、空き家をどうしようか悩んでいる人も、
まずは一度、誰かと話してみるだけで、何かが動き出すことがある。
もし、どこかで空き家バンクという言葉を見かけたら、
その奥にある“誰かの暮らしの気配”を想像してみてほしい。
小さな余白から、思いもよらない未来がはじまることがある。
そんな一歩を、私たちakimiiもそっと後押しできたら、うれしいと思っている。